15年ぶりにプラスに転じた九州の転入超過

2012年2月23日
 本格的な人口減少社会を迎えたというので、出生数-死亡数という自然増減ばかりに目が行きがちだが、転入-転出という社会増減からも目が離せない。先日、住民基本台帳をもとにした2011年の人口移動報告が総務省から発表された。いつものように九州7県のデータを入力して足し算していたら、とても興味深いことに気づいた。
 
それは、1997年以降2010年まで14年連続してマイナスを続けてきた九州7県の転入超過数(転出超過が続いたということ)に歯止めがかかったということだ。サブプライム住宅ローンバブルが崩壊した2007年と、その翌年のリーマンショックに見舞われた2008年については、ともに3万人以上の転出超過となっていたのが、2009年の転出超過は2万人(19,910人)、2010年は13千人(13,225人)へと転出超過幅が縮小し、昨年(2011年)の1年間については、ついに843人と絶対数こそ少ないものの、15年ぶりに転入超過に転じたのである。
 
九州が転入超過となった理由は、福岡県が転入超過数を増やしつつ、他の6県が転出超過幅を縮めたことによる。
 
とりわけ、日本全体が定住化傾向を強めている中にあって、福岡県の転入者数の増加ぶりは目を見張る。47都道府県のうち昨年1年間に転入者数が10万人を超えたのは、東京都、神奈川県、埼玉県、大阪府、千葉県、愛知県そして福岡県の7都府県である。この7都府県だけで全国の転入者総数の54%を占めているが、なかでも1年前(2010年)に比べて転入者増加数が最も多かったのが福岡県である。福岡県の2010年の転入者数は98,435人だったのが、2011年は103,497人へと5,062人も増えた。福岡県からの転出者数についても、2010年の95,762人から2011年の93,778人へと1,984人減少しているので、結果転入超過数は7,046人にも達した。
 
福岡県への転入者が増えて転出者数が減った背景には、東日本大震災や福島第1原発事故の影響で被災地住民の避難と企業のリスク分散立地がある。ちなみに被災地の転出者数増加率をみると、福島県69.4%増、宮城県12.8%増となっており、その受け皿としての役割を果たした結果とも言えるだろう。さらに、JR博多シティ開業効果も影響していよう。新しい駅ビルで働く67千人の多くはもちろん地元在住者だが、中にはUターンしてきた方や、九州初出店の店舗の場合(アミュプラザ博多229店舗中九州初84店舗、博多阪急660ブランド中九州初83ブランド)、立ち上げ時点から落ち着くまでのしばらくの間、あるいは九州2号店の出店先を探るために、本社からの応援部隊が福岡に移り住むケースも見られた。とにかく、新しい雇用の場ができるということは、転出を抑制し転入を促すことにつながる。
 
このように福岡県への転入超過数が増えているとは言え、その実態は「福岡市」への転入増加である。全国の1718市町村(東京都特別区を1つの市としてカウントした場合)について、転入者数から転出者数を引いた「転入超過数」をみると、第1位が東京都特別区の35,435人であるのは当然として、第2位は大阪市でも名古屋市でも横浜市でもなく「福岡市」の11,129人となっている。被災地から最も遠く、アジアに最も近い九州の中枢都市が再び注目を集めているのである。
 
15年ぶりに転入超過となった九州の社会移動だが、果たして今の状況を維持できるのかは未知数である。
 
長期的に見ると、1980年以降、過去30年間の九州の社会移動の歴史を振り返ると、バブル経済崩壊後に大都市部の景気が極端に悪化した199396年の4年間のみが転入超過であった。
 
1991年のバブル崩壊の4年後に阪神大震災があり、その年に戦後最高値となる円高に見舞われて極端な景気後退に直面するなか、九州の人口は転入超過となった。今回は、2007年のサブプライム住宅ローンバブル崩壊の4年後に東日本大震災に見舞われて、再び戦後最高値となる円高となるなか、九州の人口は15年ぶりに転入超過となった。サブプライム住宅ローンバブルをかつてのバブル景気と置き換え、東日本大震災を阪神大震災と置き換えて考えてみると、昨年の転入超過は15年前の転入超過ときれいにオーバーラップするのである。要するに、九州は自力で転入超過となったのではなく、大都市の雇用吸収力の低下で転入超過となったのである。大都市の景気が上向けば再び転出が顕著になるという構造は、あまり変わっていないような気がする。
 
ちなみに、阪神大震災の2年後に消費税率が引き上げられ、東日本大震災の3年後に再び消費税率が引き上げられようとしている。阪神大震災の2年後に消費税率が引き上げられた1997年は、北海道拓殖銀行破綻・山一証券自主廃業など戦後初となる金融危機が訪れ、デフレが決定的になってしまったのだが、果たして東日本大震災から3年後に消費税率が引き上げられる2014年は、…。歴史は繰り返すのである。

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高齢化に歯止めがかからない九州の社長

2012年2月16日
 帝国データバンク福岡支店は、九州地区(含む沖縄)に本社を置く企業の社長(個人経営の代表者も含む)13 4917 人を対象とした、2011 年の1 年間における社長交代率や社長の平均年齢などのデータ分析結果を発表した。
 
その結果によると、九州における2011 年の社長交代率は2.66%で、過去最低だった2010 年の2.67%をほんの僅かだが0.01 ポイント下回り、過去最低を更新した。結果、社長の平均年齢は59 5 か月と、2010年の調査より3 か月高齢化し、過去最高齢となった(全国は599か月)。20年ほど前の1993年時点では549か月だったので、20年間で約5歳高齢化が進んだということになる。
 
県別にみると社長の平均年齢が一番高いのは長崎県の604か月で、一番若いのは沖縄県の5711か月。沖縄は突出して若く、九州の平均年齢を下げている。九州7県では一番若い福岡県でも59歳丁度。
 
社長の平均年齢60歳をどう評価するかは様々な見方があり、「20年前の60歳と今の60歳は全然異なり、まだまだ若い」「企業経営に年齢は関係なく、意思決定が的確迅速であればそれで良い」という見方もできるが、この調子であと20年経ったときに社長の平均年齢が5歳上がって65歳になっていると考えると、グローバル化に対応した経営やITを活用した経営が遥かに浸透しているだろうから、さすがに厳しいのではないかという見方もできる。ただ、先日お会いした78歳の食品加工会社の社長に、今の工場のレイアウトを尋ねたところ、セカンドバッグからiPadを取り出して、工場の動画を見せてくれて、「最近はFacebookにはまっています」と言いながらスマホで取引先に電話していた。最新の営業ツールに十分ついていけている高齢社長もいるので、一概に高齢化=時代遅れとは言えない。
 
ちなみに九州の社長を出身大学別にみると、ベスト10の顔ぶれは毎年ほぼ変わっていない。第1位は福岡大学、第2位日本大学、3位久留米大学、4位九州産業大学、5位九州大学、6位鹿児島大学、7位西南学院大学、8位慶應義塾大学、9位明治大学、10位中央大学と続く。国公立からは九大と鹿大が入っているだけで、企業家育成という点では私立大学の圧勝である。
 
社長交代率が低下して高齢化が進んでいる一番の理由は、「後継者難」である。別のアンケート結果では、九州のオーナー企業(代表者と筆頭株主が同一の企業)37千社のうち6割が後継者未定と答えている。社長の年齢が60歳になろうとしているのに後継者のめどが立っていないという状況には不安を感じざるを得ない。
 
では後継者難の背景に何があるのかというと、「景気低迷」である。良いように解釈すれば「今のような苦境を乗り切るには社長の豊富な経験と人脈が頼みの綱」ということになるのだが、多くの経営者の話を聞いていると、実はそうではなくて「意中の後継者候補に『やってみないか』と誘っても、厳しい経営環境と改善しない財務状況が良く分かっている後継候補者は引き受けてくれない」というのが実態である。
 
会社経営を次の世代にバトンタッチすることを「事業承継」といい、中小企業の事業承継の具体策としては、「親族内承継」(社長自身が個人財産を事業に提供したり借入の保証人になっていたりするため、構造的に親族内から後継者を選ばざるを得なくなっているのにご子息が後継者になりたがらない)か「従業員への承継」が圧倒的に多いが、後継者のなり手が少ない最近は「外部からの招聘」も増えつつある。取引先や取引金融機関のOBに社長をやっていただくというパターンだ。言葉は悪いが「民民天下り」である。この「民民天下り」を実行した企業を何社か知っているが、うまくいっているケースも少なくないが、中には「外部人材には企業の強みがよく分からない」ため、「社員のモチベーションの低下」が経営課題となっている先もある。そして究極の事業承継パターンは、身売り、すなわち「M&A」である。一部の商工会議所や金融機関では、体力のあるうちに社員の雇用を守りつつ、各中小企業の強みを生かして少しでも有利な条件でM&Aにもっていってはどうかと勧めてきたが、なかなか進展していない。
 
このように社長の高齢化が課題となる一方で、興味深いデータもある。それは女性社長の数と割合がともに過去最高を更新し続けていることだ。25年前の1987年時点で九州の社長に占める女性社長の数は3,400人、4.7%だったのが、年々増え続けて、昨年は8,900人、6.6%にまで高まっている。さらに平成生まれの社長も、構成比こそ0.01%と少ないながらも九州で10人誕生しており、「失われた20年」の停滞する日本しか知らない時代に育った若い世代が企業経営の舵を取る時代も訪れようとしている。変革期とは、今までの性行体験が通用しなくなる時でもある。
 
女性や若年層の台頭にも今後は期待したい。

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爆発的に増えた九州産の牛肉輸出

2012年2月9日
 九州各県の自治体と農業関係団体が、期間限定のアンテナショップの出店や商談会の開催で農産物の輸出に力を入れるようになったのは20年ほど前からである。当時「4つのドラゴン」と呼ばれたアジアNIES(香港・台湾・韓国・シンガポール)が急激な経済成長を遂げ所得水準が高まってきていたことと、国内ではバブル崩壊で高級食料品市場が頭打ちとなり始めた時である。その後、農産物の輸出は一進一退を続けながらも拡大基調をたどった。例えば福岡県からの農産物の輸出額は、ブランドイチゴ「あまおう」の輸出が増え始めた2003年度に2億円だったのが、リーマンショック直前の2007年度には10億円を上回るまでに拡大した。
 
ところが2008年のリーマンショックとその後の円高、産地間競争の激化で頭打ちとなり、一昨年からの超円高で輸出農産物価格が34割上昇したのに加えて、昨年の原発事故による風評被害が重くのしかかったままだ。大底は脱したものの、震災前の水準には戻っていない。結果、2011年の福岡空港からのイチゴの輸出量は前年比3%の微減にとどまったものの、年末の1012月期のみ取り出してみると、前年同期比35%の大幅減となってしまった。九州からの最大の輸出先は香港だが(香港以外では、台湾、シンガポール、タイが少々)、輸出が一時的に禁止されていた間隙を突いて韓国や台湾が香港向け輸出を強化し、九州産イチゴを代替して以来、市場を取り戻しにくい状況にある。
 
また、30年前からナシの輸出に取り組んできた大分県日田市のJAおおいたの今年度の輸出量は、西日本新聞調べによると、3年前の3分の1にまで減少したままだという。そのような厳しい状況を受けて、来月からは、九州経済産業局と九州農政局、九州経済連合会が一体となって「オール九州」で農産物や食品輸出拡大に乗り出すこととなっている。
 
このように農産物の輸出が苦戦を強いられる中、門司税関のまとめによると、リーマンショックや超円高、原発事故の風評被害を撥ね退けながら輸出を増やしている九州の食品がある。「牛肉」だ。輸出統計品目の正式名でいうと「骨付きでない牛肉」となっているが、業界用語でいうところの「ボンレスビーフ」である。国内における畜産史上最大の被害となった口蹄疫問題(2010420日~8月末)で大きく揺れていた2010年でさえも、九州からの輸出は増え続けていたことはあまり知られていない。201068月の3か月間の博多港・福岡空港からの輸出量をみると、さすがに前年同期比51%減となっているが、それ以外の月で挽回している。
 
九州で牛肉といえば、量的には南九州の鹿児島、宮崎が全国のトップだが、高級和牛となると「佐賀牛」「くまもと黒毛和牛」「おおいた豊後牛」「博多和牛」など、ブランド牛は九州全域に見られ、輸出されるようになっている。
 
九州からの牛肉輸出数量は、10年前の2002年時点で0だった(前年の2001年末のBSE感染牛発覚の影響)のが、2003年に300㎏、2004700㎏と順調に回復した後、2005年には8千㎏を超えて、リーマンショックの2008年には156トンに達し、2009208トン、2010213トンと桁違いに増えてきた。そして超円高と原発事故の風評被害で打撃を受けた昨年、2011年は、242トン、前年比14%増と過去最高に達している(金額ベースでは132,800万円、前年比11%増)。この調子で増え続けると、2003年の300キログラムが10年後の2013年には300トンへと、1000倍にまで増加する事態も考えられる。
 
2010年の税関別輸出シェアでも、門司税関が全国の39%を占めてトップに躍り出た。輸出している港についても、成田空港や東京港を福岡空港が追い越して、全国1位になっている(どちらかというと、博多港は冷凍モノ、福岡空港は冷蔵モノが多い)。
 
輸出先の第1位は他の農産物と同様に香港。ここ数年で、日本スタイルの焼肉チェーン店が急増していることからも頷ける。そして第2位はお隣のマカオ、第3位はカンボジアである(2010年に第2位だったベトナムは、2011年はゼロ)。上位3か国・地域で、門司税関管内港からの牛肉輸出の93%を占めている。ただし、貿易統計を見る時の注意点は、「輸出先=最終消費地」とは限らないということであり、「大人の事情」で輸出先が決定されていることも少なくない。
 
震災直後には他の農産物同様に一時的に落ち込んだものの、香港をはじめとするアジア各地の富裕層にとって、ブランド和牛肉は高品質なことが知られているだけでなく、「口に合う」ことから、今後も堅調に推移するだろう。円高だろうが、口蹄疫だろうが、原発事故だろうが、「美味いものは美味い」という魅力と味力にとりつかれた市場は、着実にアジア各地に広がっているのである。

 

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超高級食となるかもしれない「うなぎのかば焼き」

2012年2月2日
 気温低下と雨不足による乾燥のため、生鮮野菜の価格高騰が止まらない。鍋物に欠かせない葉物野菜の5割程度の値上がりが家計を直撃しているが、今年の夏に、ほぼ間違いなく価格が上昇すると見込まれている食べ物が「うなぎのかば焼き」である。
 
鰻養殖の生産者は、ウナギの稚魚である「シラスウナギ」の確保を100%天然に依存しており、12月から4月までの期間に河川や海岸線で採ったシラスウナギを養殖している。ちょうど今の時期が、シラスウナギ漁獲の最盛期なのだが、漁獲量が今年は例年になく少ない。シラスウナギの不漁は3年連続のこと。不漁は価格に即跳ね返るので、養鰻日本一の鹿児島県におけるシラスウナギの仕入れ値を見てみると、昨年キロ当たり55万円だったのが、今季は75万円から取引が始まり、現在は既に100万円を超え、宮崎県の一部地域では、200万円での取引も始まった。昨年の2倍、平年の3倍といった水準にまで「うなぎのぼり」となっている。養鰻業者はシラスウナギを確保できず、輸入物のシラスウナギ導入を検討し始めているが、中国や台湾でもシラスウナギは不漁なのに加えて、足下を見られてしまっているので、輸入モノの相場は56年前の10倍に高騰してしまっているという。過去最もシラスウナギが高騰したのは7年前の2005年だが、その時は、シラスウナギの密漁で逮捕者がでたり、養鰻業者に出荷する直前のシラスウナギが盗難に遭うという事件も起きている。
 
シラスウナギが不漁続きとなっている理由は、昨年の台風の影響説や地震の影響説(2004年末のスマトラ沖地震直後が過去最低の漁獲量であった)、産卵場所が南下して黒潮に乗れなくなって日本にまでたどり着けなくなっているという説や、乱獲と気候変動で資源量そのものが激減しているのではないかといったことなど諸説あるが、ウナギの問題だけに、つかみどころが無くて良く分からない。
 
シラスウナギの体は透明で、長さは約6cm、つま楊枝程度で、その重さは約0.2g。生産者は、冬から春にかけて採れたシラスウナギを水温28度前後で6か月から1年半掛けて養殖し、0.2gのシラスウナギを1尾200gから300gに育てる。つまり早ければ、今採れているシラスウナギが今年夏の土曜丑の日(今年は727日)に向けて出荷されることになるので、うなぎのかば焼きの相場もかなりの高騰が見込まれる。
 
九州7県の養殖鰻生産量は、コンスタントに全国の5割以上のシェアを占めるが(全国1位の鹿児島県と全国3位の宮崎県だけで全国シェア57%にも達する)、シラス価格高騰に加え、養殖池を暖める重油価格も高騰しているのでダブルパンチ。稚魚の漁獲減が今後も続けば、養殖・加工・流通段階がどんなに努力しても、ウナギが富裕層だけの食材になってしまいかねない。
 
不漁の原因が良く分からないだけでなく、シラスウナギの生態も良く分かっていない。
 
ウナギは卵から育てることが極めて困難なため、天然のシラスウナギに頼るしかないのが現状だが、2年前の20104月、水産総合研究センター養殖研究所はウナギの「完全養殖」に成功したと発表した。人工ふ化させて生まれた仔魚(しぎょ)をシラスウナギに育てて、さらに成魚にまで育て、そこから卵を生ませて次の世代の「人工ウナギ」をつくりだした。この仕組みが実用化されれば、年によって変動する天然シラスウナギの漁獲量に振り回されることなく、安定した養殖が可能となるので期待が高まっている。だが同研究所によると、シラスウナギ1匹当たり1万円以上のコストがかかっているので、家庭の食卓に上るほど「大量生産」して採算の合う事業にする段階は、まだ見えていない。
 
では、養殖モノが高いなら、天然モノはどうか?養殖モノは、半年で稚魚から大きくなるが、天然モノは5年から10年かけて成熟する。しかし、量が国内養殖量の1.2%程度と少ないのと、価格が高いため、高級料亭向けがほとんどである。九州で採れる天然ウナギの全国シェアは26%と高く。かつ、河川ごとの天然ウナギの漁獲量をみると、筑後川が日本一で、球磨川、緑川、大分川と大野川が共にベスト10に入っている。北部九州=天然モノ、南九州=養殖モノという九州ウナギ地図が描けるのだ。
 
ウナギアイランド九州としては、4月まで続くシラスウナギ漁が回復することを願うばかりである。

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いつまでも若くあって欲しい九州の「マザー工場」

2012年1月26日
 「マザー工場」の定義は様々だが、もっともオーソドックスな解釈は「日本国内で開発した製造技術を海外の工場に教えていく母胎の役割を担っている工場」というものである。海外に生産拠点をもつ企業が増えるにつれて、日本国内、とりわけアジアに近い九州に立地しているハイテク工場は、生産に関わる様々な技術支援を行ってきた。シリコンアイランド・カーアイランドの生産現場の社員が福岡空港を使って頻繁にアジア各国と往復するのも、マザー工場が多いからだ。ところが今週、そんな九州のマザー工場が生産縮小・工場撤退するという残念な2つのニュースが報道された。
 
1つは、熊本県大津町の本田技研工業が、国内では36年前の1976年に操業開始した熊本製作所だけになっている小型バイクの生産を、3年以内に全て中国・天津の二輪車工場に移管して、小型バイクの国内生産から撤退すると発表したことである。ホンダは、6年前から、世界の二輪車需要拡大と生産技術の進化に対応するため、国内の二輪車生産を熊本製作所に集約し、世界の二輪車生産をリードする「マザー工場」としての機能を強化していただけに、今回の小型バイクの国内生産撤退は驚きである。2010年の生産台数は約19万台。輸出用の中大型バイクが中心で、小型バイクは、国内向けのスーパーカブと原付きスクーター合わせて約5万台だったが、ここにきて「急激な市場の縮小」に「超円高」が加わり、国内生産を維持できないと判断したのだと言う。これに伴い、世界最多生産を誇る「スーパーカブ」も国内での生産を終えることとなる(世界で年間約1,500万台を生産する同社のバイクのほぼ半分がカブシリーズ)。日本では、中国から輸入して販売を続けるという。熊本製作所は中大型バイクの生産に特化させる方針で、汎用エンジンは中国の工場へ、軽自動車用エンジン部品は鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)へそれぞれ移管する。ただし、安定需要が見込める日本郵政向けの特殊な配送用バイクの生産だけは同製作所で続けるそうだ。注目されるのは雇用面への影響だが、熊本製作所の社員約3,200人のうち約400人を2013年度までに国内の別の工場に配置転換する方針である。とは言え、ホンダの国内工場は栃木、埼玉、浜松、鈴鹿なので、最も近いところに配置転換されても三重県鈴鹿市である。生産設備のリプレースは簡単でも、ヒトの移動は容易ではない。
 
マザー工場に関するもう1つの残念な今週のニュースは、大分県日出町で約40年前の1973年からICを生産してきた日本テキサス・インスツルメンツが、20137月末までに工場を閉鎖すると発表したことである。日本テキサス・インスツルメンツ日出工場はアジア各国の工場に技術支援する「マザー工場」の役割も果たしていることで広く知られてきた。ところが、「大規模で先進的な工場に生産を移管した方がよいと判断した」結論だという。いわゆる「選択と集中」にもとづく経営戦略である。日本テキサス・インスツルメンツは、福島県会津若松市と茨城県美浦村(みほむら)にも東日本大震災で建屋の一部が損壊した後復旧した工場をもっているが、そちらへの配置転換は考えていないというから厳しい。従業員520人は全員解雇となる見通しだ。従業員の家族まで含むと2,000人の生活に影響が出る。日出町は大分市と別府市のベッドタウンとして人口が増えているとは言え、現在の町の人口は28,000人なので直接的な影響だけでも1割弱の町民の生活に影響する。雇用面でも税収面でも町に最大の貢献をしてきたことや、関連する中小企業まで含むとその影響は相当大きい。
 
40年前に九州に進出してきたハイテク工場は、アジア各国に生産子会社を産んで(子供を産んで)「マザー工場」(お母さん)となり、アジア各地の工場を技術指導して(子育てして)、アジア各地の工場が独り立ちするようになった今、「グランドマザー工場!?」になろうとしている。生産品目の変更や追加設備投資で新陳代謝して、いつまでも若い「マザー」であってもらいたいものだ。

 

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被災地で多様化するボランティアニーズ

2012年1月19日
 17年前1995117日の阪神・淡路大震災の時は、震災直後から2か月間で100万人ものボランティアが被災地に駆けつけて被災者支援や都市復旧復興に目覚ましい活躍をした。その1995年は「ボランティア元年」とも言われたが、昨年の東日本大震災では、岩手、宮城、福島3県で9か月間にボランティアセンターを通じて活動したボランティアの数は計89万人にとどまった。東日本大震災の場合は、当初、「混乱を招く」としてボランティアを自粛する動きがあったうえ、「大都市圏から遠かった」こと、そして、「被災地の範囲が広く、がれきの量が膨大であること」だけでなく、「原発事故の影響で事実上立ち入りできない地域があること」などから、ボランティアが入りにくかったことが指摘されている。
 
では、今現在でボランティアの数は足りているのかというとそうではない。読売新聞と神戸大は、年末に東日本大震災でボランティア活動に取り組んだ全国約500人にアンケート調査を行っている。被災地でのボランティア数の過不足を尋ねたところ、「全然足りない」(44%)、「どちらかというと足りない」(36%)を合わせた計80%のボランティア経験者が「不足」と回答している。そして、全体の92%は「今後も被災地にボランティアが必要」と考えており、93%が「今後も被災地に行きたい」と答えているように、2回以上、被災地入りしたボランティアは66%に上る。また、「ボランティアの普及のために何が必要か(複数回答)」との問には、「ボランティアに関する情報提供」が78%ともっとも多く、「ボランティア・バスなど継続的な派遣体制の充実」の68%、「宿泊・食事・活動拠点」の66%を上回っており、依然として現場の「情報不足」が一番の課題となっている。
 
そこで、現時点での東北三県の災害ボランティアセンターのボランティア募集状況をみてみると、ボランティアへのニーズは震災直後と比較して多様化していることが分かる。そのニーズの多様化に対応して、各ボランティアセンターの受入条件や活動内容も変化しているのだ。震災直後のボランティアの仕事は、家屋から泥を掻き出す掃除や救援物資の分配といったものが主だったが、今では「高齢者・障害者の生活相談」や「子供の学習支援」、「理容・美容・健康に関する相談」「買い物支援」「防犯対策」「イベント開催支援」といった専門的かつピンポイントのニーズが増えてきている。ボランティアの必要性も地域によって大きな差が見られるようになり、宮城県の松島町や利府町のボランティアセンターなどは「ニーズがほぼ充足し、募集は休止中」で、岩手県岩泉町は「町内の活動が終息し、近隣市町村にボランティアを派遣している」といった具合に一区切りついた地域がある一方で、同じ岩手県内でも大槌町や釜石市、大船渡市は今でも「がれき撤去」や「泥出し」のボランティアを募集し続けている。未だにがれき撤去等の危険を伴うボランティアを募集しているところは、リスク対策と作業の効率的な推進の観点からボランティアの募集単位は個人ではなく、「2名以上」とか「5人以上の団体」とか「8名以上の団体のみ」といった具合に、チーム単位での受付となっている。興味深いのは、陸前高田市が「ボランティア活動中の怪我の応急処置をする看護ボランティアを募集」していたり、遠野市が「災害ボランティアセンターを支援するためのボランティア(事務局スタッフを含む)を募集」しているひとである。つまり、「ボランティア(を)サポート(する)ボランティア」へのニーズも高まっている。それに伴って、「災害ボランティアセンター」の機能も変化し、長期的・継続的な生活支援へ重点を置いた「生活支援センター」へと移行している。
 
そのような被災地現場のニーズに応えるべく、福岡県からは、個人ではなく、団体で対応する動きも活発化してきた。
 
大牟田市の「社会福祉協議会」と「介護サービス事業者協議会」そしてNPO法人「大牟田市障害者協議会」の三者は、震災直後から被災地にボランティアを派遣していたが、現地南三陸町で目にしたのは、津波によって枯れそうになっている大量の「塩害スギ」の処理問題と、仮設住宅に閉じこもりがちになる「高齢者の孤立」の問題であった。そこで、地元の森林組合が塩害スギを伐採してもらったうえで、地元の木工所にお願いして「塩害スギ」を組立式のテーブルとベンチのキットに加工してもらい、南三陸町歌津(うたつ)地区で84世帯が暮らす仮設住宅に届けたところ、とても喜ばれたという。テーブルとベンチを「完成品」として届けるのではなく、「キット」として届けるというアイデアが素晴らしい。仮設住宅に閉じこもりがちだったお年寄りも屋外に出てきて、テーブルやベンチを組み立てる作業を通じて新しいお隣さんとコミュニケーションを交わすようになったのである。いざテーブルとベンチが仮設住宅に設置されると、入居者は外に出てきてお茶を飲んだり、お年寄りと子供が将棋を指したりするようになり、その交流場所は「福幸茶論(ふっこうさろん)」と名付けられたという。この大牟田市の団体「絆プロジェクトおおむた」の活動は、福岡県の被災地支援活動として承認され、受け取った500万円の助成金を全額使って南三陸町歌津地区の全16か所の仮設住宅にテーブルとベンチ50セットを届けている。将来のまちづくりについて、仮設住宅の住民が議論する場として「福幸茶論」は今後も活躍するだろう。
 
で、この話には後日談があって、伐採した「塩害スギ」の量が多く余ってしまったが、廃棄されてはいけないと、現地で18セットの加工を追加注文し、全て「絆プロジェクトおおむた」が買い取ったうえで「絆ベンチ」として地元大牟田市で1セット5万円で販売することにした。ところが、宮城県からの運搬費用に15万円程度を要するため困っていたところ、社員5人が石巻市で1週間のボランティア活動をしていた大牟田市の信号機メーカー「信号電材」(国内信号機シェアは30%にも達する!)は、運搬費用負担を申し出ただけでなく、絆ベンチの購入もしてくれたとのこと。
 
被災地を舞台として、「NPO」と「企業」と「行政」の協働事業が実を結んだという貴重な事例である。ちなみに「絆プロジェクトおおむた」が大牟田市まで運んできた18セットは、既に完売済である。
 
被災地で多様化するニーズに対応するには、被災地で活動したボランティアの目線で事業を提案して、その事業をNPO・ボランティアの力だけではなく、企業や行政と積極的に連携して実行していくことも検討されて良い。
 

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再び増える九州へのクルーズ船寄港

2012年1月12日
 昨年の九州は「新幹線イヤー」だったが、今年は「
LCCイヤー」かつ「外国クルーズ船イヤー」になりそうだ。東日本大震災まで増加傾向にあった九州への外国船籍のクルーズ船寄港は、「原発事故の風評被害」と「過去最高の円高」によって激減した。ところが今年は過去最高のクルーズ船が九州に寄港するという明るい兆しが見え始めた。
 
かつてクルーズ船といえば欧米人による長期にわたるロングクルーズ船が時々寄港する程度だったが、45年前から、クルーズ船観光が盛んな欧米の船会社が、経済成長著しい中国に着目するようになり、中国発着で東シナ海沿岸を1週間以内でまわるショートクルーズ船の寄港が急増してきた(お値段もリーズナブルで、5万円から10万円が多い)。九州のアジアへの地理的近接性が生かされている好例だ。中国発着のクルーズ船が増えている最大の理由は、中国人の所得水準の向上だが、中国の企業でも、社員のやる気を引き出すためにインセンティブツアー(ご褒美旅行)を導入する機運が高まっているのに加えて、個人での海外観光ビザの発給要件が緩和されたことも大きく後押ししている。
 
ここで過去4年間の外国クルーズ船の九州への寄港回数を振り返ってみると、2008年が87回(第1位は鹿児島港の30回)、2009年が103回(第1位は長崎港の48回)、2010年は152回(第1位は博多港の61回)である。毎年、寄港地の1位が交代するほど、博多港、長崎港、鹿児島港の3港は激しい誘致争いをしている(これら3港以外では、屋久島の宮之浦港と宮崎県の細島港)。
 
この2010年の152回という寄港回数は全国的に見て多いのか少ないのかというと、2010年の全国の実績は299回なので、九州の全国シェアは51%、クルーズ船の過半数が九州に寄港していることになり、九州は外国クルーズ船寄港の一大拠点となっていることが分かる。港別に見ても、全国1位が博多港で、第2位には那覇港が入っているが、3位鹿児島港、4位長崎港と続き、神戸港の32回や横浜港の19回を大きく上回っていた。
 
ところが、昨年2011年は原発事故の風評被害と円高のため、当初は2010年を上回ると見られていたのに、キャンセルラッシュに見舞われて、結果、55回と前年の約3分の1にとどまってしまった。ただ、昨年の秋口以降は回復傾向にあり、今年2012年は現時点で九州運輸局が把握しているだけでも博多港の55回を筆頭に、九州全体では少なくとも118回の寄港が予定されているので、再び今年はクルーズ船復活の年となりそうだ。
 
そして今年はクルーズ船について大いに期待できる動きが2つある。
 
1つはハウステンボスが229日に運航開始する長崎-上海間のクルーズ船である。船は314日まで週1往復で不定期運航し、316日以降は週2往復で定期運航する(片道約22時間)。注目すべきは料金で、片道運賃は9,800円、2週間前の早割なら7,800円(いずれも燃油サーチャージ代などは別)。客室利用料が掛からない座席は約500席あり、特別仕様の座席と個室は別途利用料が掛かる。レストランは4カ所設け、朝、昼、夜の3食セットで2千円、5千円、1万円の3コースが用意されている。中国と東京、大阪を結ぶ定期便は67万円と中国人にとって訪日観光の敷居はなお高いので、十分、商機はある。
 
今年期待できるもう1つの動きは、韓国の船会社「ハーモニークルーズ」(本社・ソウル)が、釜山と仁川の両港を拠点として、博多港、長崎港、別府港、鹿児島港の各港を寄港地とする「九州クルーズ旅行」を始めることである。第1便は23日に仁川を出発し、済州島-長崎-鹿児島-別府-博多-釜山を67日で回る。年間では100便弱の運航を予定している。韓国の船会社が日本へのクルーズ船を運航するのは初めてのことで、アジアの観光客誘致に力を入れている九州の自治体にとっては絶好のチャンス到来となりそうだ。
 
ただ、九州観光推進機構が「総合特区」案件として、就労に制限がある留学生を通訳ガイドに活用するという「九州観光「おもてなしの輪」創造特区」を申請しているが、なかなか国から規制緩和を認めてもらえないなど、クルーズ船の経済効果を引き出す上での課題は少なくない。

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2012年の九州経済 -エコと医療とアジアが鍵-

2012年12月29日
 2012年の九州経済をざっくりと予想すると、今年よりはましだが、引き続き回復感は実感できないということになる。今年の九州は、被災地から遠いこともあって、全国より成長率は高かった。全国は東日本大震災と福島原発の影響でマイナス成長となったものの、被災地から遠い九州はややプラスを達成しただろう。ただ、そのプラス幅は期待を大きく下回った。理由は、震災やタイの大洪水でのサプライチェーン寸断の影響が大きかったことと、九州では安泰と思われていた「電力問題」が足を引っ張ったことによる。
 
2012年の九州は、プラス成長こそ確保できるものの、全国の成長率を下回る。理由は、被災地の復旧・復興に向けた傾斜配分が実施されるため、復興特需の影響が小さいためである。今年は被災地から遠いことがプラスに作用したが、来年は逆だ。企業の設備投資は、今年実施できなかった分が繰り越されるが、九州企業の決算の多くは、基本的に売上は増えるが利益は減るといった「増収減益」パターンなので、キャッシュフロー経営で設備投資に回す原資が不足するため、牽引車とはなりにくい。全国と九州で最も明暗を分けるのが公共投資である。公共投資は、全国では2ケタ近い伸びが見込まれるが、九州は若干のマイナスとなろう。
 
また、全国レベルと同様に、「3つのリスク」はそう簡単に払拭できそうにない点も気掛かりだ。3つのリスクとは、「原発停止に伴う生産の低迷」「米国やEUの金融不安による景気低迷による外需低迷」「円高の進行」である。
 
こう見てくるとお先真っ暗な九州経済だが、勿論、期待がもてる分野もある。1つは、北部九州の鉄鋼・化学といった基礎素材型産業が、被災地の復興特需向けに材料を供給するため、プラスに働くことである。2つ目は、LCCといった空の便だけでなく、長崎と上海を結ぶ「上海航路」の定期就航が始まり、原発事故の風評被害で激減したクルーズ船の博多港・長崎港・鹿児島港への寄港も復活することで国際観光に復活の兆しが見え始めることである。3つ目は、特定地域に規制緩和や税財源の優遇措置を講じる「総合特区」(今年6月に法案が成立した支援策で、従来の構造改革特区は規制緩和だけの支援策だったが、今回の総合特区はカネの面でも支援する)に福岡県・福岡市・北九州市が共同申請していた「グリーンアジア国際戦略総合特区」と大分県・宮崎県が共同申請していた「東九州メディカルバレー構想特区」が1週間前に選ばれたことである(全国で88案件が提出され、33件が認定された)。グリーンアジア国際戦略総合特区は環境産業の拠点化とアジアへのビジネス展開を目指すもので、太陽光発電を設置する際に、建ぺい率を緩和するなどの特例が認められる見通しだという。東九州メディカルバレー構想特区は医療産業の拠点化を計画している。延岡から内陸側には、カテーテル生産工場をはじめ、医療関連産業が古くから立地しているという強みを活かしたい。
 
「環境産業」と「医療産業」そして「アジア」といった新しい成長戦略に相応しい球出しはきちんとできているので、これらが一部地域に特化した産業から九州全域に広がることで新しい成長の柱がつくられていくことが期待される。
 
政府・日銀には、増税や利上げといった「出口政策」を急がないように求めたい。1997年の消費税率引き上げや2000年のゼロ金利解除と同じ轍を踏んではならない。

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2011年九州経済の○と×

2011年12月22日
 波乱万丈の日本経済にあって、九州経済は何とかバランスをとりながら乗り切った1年だったと言える。
 
何と言っても2011年九州経済最大のトピックスは「九州新幹線全線開業」である。3.11翌日の全線開業でオープニングイベントは全て中止となり、当初3か月間の利用は、とりわけ北部九州で30%増加(JR九州の目標値は40%)にとどまるなど低迷した。しかし震災直後の自粛ムードが和らいだ夏場以降は徐々にペースを上げて10月からの運賃値下げ効果もあって、目標は何とか達成できそうだ。関西からの観光客は大幅に増えて、鹿児島県指宿市のホテル・旅館で今年赤字になるところは皆無と言われている。九州の全市町村で最も景気の良かった市町村を1つ挙げるとすると、「鹿児島県指宿市」ということになる。JR九州の「指宿のたまて箱(いぶたま)」が大ヒットしたように、観光地を「演出」する工夫がもっとあっても良いだろう。また、今年関西からのビジネス客・観光客が増えたことを実感するのは、博多駅・熊本駅・鹿児島中央駅のエスカレーターを利用する時である。昨年まではほとんど見られなかった「右側に並ぶ姿」を頻繁に見かけるようになったことが、関西人の観光客・ビジネス客が増えたことを象徴している。
 
また、もう一つの九州新幹線「西九州ルート(長崎ルート)」についても、昨日、武雄温泉-長崎間がフル規格に格上げされる見通しとなり、費用対効果がアップすることとなったのは良かった。西九州ルートの必要性については賛否両論あるが、基本的なロジックとしては、「現在の長崎本線は単線区間が多く、とりわけ有明海沿線はちょっとした雨量でも運行見合わせになる場合が多いので何とかしたい」→「しかし、現ルートでの複線化工事はスペース的に困難で、抜本的な防災対策ができない」→「新しいルートで複線化したい」→「フリーゲージトレインを開発し、西九州ルートに新鳥栖から直接乗り入れ可能としたい」ということであり、初めからフル規格の新幹線ありきではないということを市民県民のコンセンサスとしてもっておくことが大切だ。フル規格化によって開業が2018年から2022年へと4年延期される見通しだが、今後10年間でフリーゲージトレインの完成度を高めつつ、新幹線活用戦略策定と地元負担増加の合意形成を図る時間も稼ぐことが可能となった。
 
さらに、九州新幹線鹿児島ルートの全線開業では、ちょっと期待外れなこともあった。九州新幹線は、本州で整備されてきた新幹線が世界都市=東京と田舎を短時間で直結することを第一目的としてきたことと意義が異なり、九州の南北の移動時間距離を短縮して九州の一体感を高めることが第一目的である。九州新幹線がレールの上では東京までつながったからといって、東京に行くのに飛行機から新幹線にシフトした九州人はほとんどいない。むしろ、九州人のマイレールとして利用されるべき移動手段なのだが、新駅の使い勝手の悪さや高めの料金設定もあって、いまいちその効果が発揮できているとは言えないのが残念だ。私自身が1年に九州の南北を毎年70回以上往復するが、全線開業したからといって、新幹線の利用頻度が高まったわけではない。ダイヤと運賃については、今後もタイムリーな見直しが求められる。
 
今年は関西からの入り込み客が多く、来春(317日)のダイヤ改正で新大阪-鹿児島中央直通便が現在の15往復から23往復に増便されることとなっているが、LCCという強力なライバルが、3月からの関空-福岡間だけでなく、関空-鹿児島間でも4月から飛ぶことが決まったので、移動手段供給過剰による価格破壊は必至となろう。
 
一方、福岡市民に今年一番のトピックスを尋ねると、おそらく九州新幹線よりも新博多駅ビル開業の方が票を集めるだろう。32日のプレオープンから半年間(185日間)で3080万人を集客し398億円の売上となった「JR博多シティ」によって、天神の集客力にも陰りが見られたが、今月の「ホークス優勝おめでとうセール」は、ここ何年も続いていたクライマックスシリーズの敗戦後の「ありがとうセール」とは別格で、博多シティにやられっぱなしだった天神の3つの百貨店は2ケタの売上増を達成した。九州最大の商業地=天神の底力を、今年最後に見られたのは良かった。
 
往年のプロ野球パ・リーグファンは、数十年ぶりの形を変えた「阪急(JR博多シティの阪急百貨店)VS西鉄(We Love天神協議会の中心)」戦をどのように見ていただろうか。

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WTO加盟から10年経過した中国

2011年12月15日
 今日木曜日から明後日土曜日までの3日間、スイスのジュネーブで世界貿易機関(WTO)閣僚会議が開催される。WTOが機能しないからTPPみたいなのが幅を利かすことになっているので、何とか充実した会議にしてもらいたいが、二国間・多国間のFTAEPA交渉が活発化すればするほどWTOは弱体化するので、大した成果は得られそうに無い。
 
中国が世界貿易機関(WTO)に加盟して、先日の日曜日11日で丁度10年が経過した。10年前の20011211日は、9.11同時多発テロから3か月目ということや、国内ではBSE(牛海綿状脳症)で大騒ぎとなっていたので中国のWTO加盟はそれほど大きく取り上げられることはなかったが、この10年間を振り返ると、日本経済・九州経済を語る時に、(好きか嫌いかの問題は別として)中国抜きでは語れなくなるほどその存在感を高めた10年だったと言える。
 
WTO加盟前の中国のキャッチフレーズは「世界の工場」で、1980年代にそう呼ばれていたアジアNIES(韓国・台湾・香港・シンガポールといった4つのドラゴン)やASEANを蹴散らすように急速に台頭した。「世界の工場」はWTO加盟後には「世界の市場」と呼ばれるように変貌を遂げ、国内総生産は2年前にドイツを抜いて世界第3位へ、昨年は日本を抜いて世界第2位の経済大国へと成長した。10年間でGDP4倍に増えているので、平たく言えば、所得倍増どころか「所得4倍増」を達成したことになる。増加率だけでみると、40年前の日本の高度成長期の名目GDP15%とか18%で成長していたので、「それ程でもない」と負け惜しみを言いたくもなるが、人口13億人規模の国家が10年で所得4倍増となると(好きか嫌いかの問題は別として)、その存在感は高まらざるを得ない。そして中国は「WTO最大の受益者」となった。
 
その中国は、WTO加盟前も加盟後もアジア経済、日本経済そして九州経済に大きな影響を与えてきた。
 
先ず「加盟前」については、1997年夏のアジア経済危機後に日本が戦後初めての金融危機を迎えたようにアジアNIESもアセアン諸国も不況に陥ったが、世界の貿易ルールに乗っかっていなかった中国だけは、ほとんど平気の平左でいたので、その後の韓国やシンガポール、香港、台湾のV字回復をもたらした。グローバル化のバッファー(緩衝材)の役割を果たした。
 
次に21世紀の幕開けとともにWTO加盟を果たした中国は、大幅な関税引き下げを飲まざるを得なかったので、日本そして九州からも自動車や半導体等電子部品、鉄鋼製品、化学製品の輸出が活発化して、20022月から20082月までの73か月におよぶ戦後最長の景気回復局面の主役となった(戦後最長の景気回復について実感を伴ったかというと、話は別)。
 
10年前と比べると、九州から中国への輸出額は1,800億円から1800億円へと6倍に増え最大の貿易相手国となっただけでなく(北米への輸出額は10年前の7,648億円から昨年の6,997億円へと9%減少しているのと対照的だ)、九州からの企業進出件数は10年間で299件に達している。さらに、もともと少ない外資系企業の九州進出を過去5年間についてみてと、18社が進出しているうち中国企業が6社と、韓国の4社、アメリカの3社を上回っている。
 
そんな具合にこの10年間でプレゼンスを高めてきた中国と、来年以降どう付き合っていくのか。日中韓のFTA締結に向けた産官学の会合が昨日から韓国で始まった。来年前半の交渉開始を目指すという。政府の意欲は認めるが、果たして、国内の被災地復興とエネルギー政策見直しよりもプライオリティの高いテーマなのだろうか。

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