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流通戦争と商店街

2002年10月7日
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年以上前のバブル期、クリスマスが近づくと、福岡から300km離れた鹿児島三越前に福岡ナンバーの超高級スポーツカーがハザードランプを点滅させて路上駐車している現場を何度か目にした。どんな人達が福岡から鹿児島までわざわざ買物に来るのだろうと怪訝に思い、鹿児島三越に取材を申し込んだ。すると、意外な理由が判明した。当時のヒアリングメモをめくると、以下のように記している。「うちで扱っているティファニーの宝飾品をクリスマスのプレゼントとしてお買い求めになるお客様です。福岡からだと広島三越の方が新幹線で行けるので近いと思いますが、ドライブがてら南下して来られるのでしょう。ここ数年、クリスマス前はこの調子が続いています」。もっとも、鹿児島三越前に福岡ナンバーの超高級スポーツカーが路上駐車する姿は、1996年のクリスマスシーズンを最後に見られなくなった。
 
199710月に福岡三越がオープンして5年が経過した。96年のZサイド開店から97年のエルガーラ、福岡三越開店に至る天神地区の変貌振りは、第3次天神流通「戦争」と呼ばれた。もっとも、この戦争を今振り返ると、日本経済が過去に経験したことのない急激な景気後退局面下での消耗戦の始まりであったことに気付く。
 
天神地区における第1次流通戦争は、1970年代中盤に発生した。地下街や天神コアビルが完成した時期である。第2次流通戦争はバブル期の89年に、ソラリア、イムズといった大規模複合商業施設が立地した時である。これらの第1次と第2次は、いずれも消費者の所得が年々増加し、全体のパイが大きくなる中でのシェア争いであった。ところが、97年の第3次流通戦争は、それ以前の2回の「戦争」とは、小売環境が激変していた。まず、97年4月に消費税率が3%から5%に引き上げられたため、自律回復する余力の無かった個人消費が落込んでいたのに加えて、8月にはアジアの経済危機が顕在化していた。まさに、日本経済が「泣きっ面に蜂」状態で福岡三越はオープンしたのである。事実、開店の翌月には北海道拓殖銀行が破綻し、山一証券も自主廃業に追い込まれている。九州の失業率も97年第4四半期以降現在に至るまで、前年同期の水準を下回ったことは1度もない。市場全体がシュリンクする中で、天神地区内では百貨店対百貨店、北対南、百貨店対量販専門店、広域的には都心対郊外という消耗戦を強いられたのである。
 
そのような、かつて経験したことのない不況下にあって、福岡三越は売上を伸ばし続けた。客観的に見て、その大きい理由は2つある。1つは、立地条件の良さである。Zサイドやエルガーラのオープンで、天神地区の商業重心が南下していたのに加え、西鉄大牟田線福岡(天神)駅や高速バスの停車場を取り込んだ「ターミナル性」を生かしたことにある。交流拠点に立地したことで、人々の待ち合わせ場所は、一気に「ライオン前」へと変わった。もう1つの理由は、三越のブランド力である。三越の得意分野は、呉服・宝飾品・美術品(頭文字をとって、御褒美とも呼ばれる)にあるが、他の百貨店が単価の安い若者向けの品揃えに注力する中、むしろデフレ・リッチ気分を満たすのに成功した。
 
で、次なる第4次天神流通戦争がいつ訪れるのかというと、その時期は既に確定している。NHK福岡放送会館跡地とRKB毎日放送本社跡地に大型店が立地する2004年である。そしてその時期、九州新幹線新八代-鹿児島中央(現西鹿児島)間が開通し、福岡-鹿児島間が2時間10分で結ばれる。常に新陳代謝し続ける天神地区。その競合は、あと2年後に九州全域での激しい「戦争」をもたらすに違いない。天神流通「戦争」に参加したつもりなど毛頭無い地方都市の商店街にも、その影響は及ぶのである。

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