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一極集中と適疎適密社会

2002年10月3日
 2005
3月の合併特例法の期限が迫るにつれて、北部九州では市町村合併気運が高まっている。新都市建設計画策定や条例見直し等の作業に22か月を要するため、市町村合併論議は今がピークである。この3か月間は、ほぼ毎週末に北部九州のどこかで合併シンポジウムが開催され、私自身も市民センターや町民会館のステージの上に呼ばれる日が続いた。
 
このように北部九州で合併気運が盛り上がる中、南九州の地方都市の商工会議所から合併問題をテーマとする講演依頼があった。行政サイドに合併気運が全くみられないのに対して、民間団体が業を煮やしたのである。そして講演を終えた後の会場からの声を聞いて驚いた。「合併を検討する意義を、今日、初めて知りました」と言うのである。「行政の広報誌には、合併の『が』の字も無い」とまで言う。今の時期に合併を議論しておかないと、将来に禍根を残すのではないかと心配になった。議論し尽くした結果としての現状維持であれば、それはそれで将来の地域社会を担う次世代に説明責任を果たせるが、議論もせずに「今まで何とかやって来れたから、これからも何とかやっていける」という「茹で蛙」的発想で合併論議から目を背けていると、次世代から怨まれはしないか。首長や議員が合併を検討する労賃は、給料に含まれていると言っても良い。
 
そんな南九州の地方都市でも、北部九州の多くのシンポジウムと同様の声が聞かれた。「中心部だけ栄えて、周辺部は廃れるのではないか」と、地域社会での過疎と過密の格差拡大を訝る意見である。
 
過疎過密が進んだ結果は、一極集中となって顕在化する。全国レベルでは「東京一極集中」、地方ブロックレベルでは「中枢都市(札幌・仙台・広島・福岡)一極集中」、県レベルでは「県都一極集中」、さらに細かく見ると、「地方中心都市一極集中」や「役場周辺の商店街一極集中」といった具合に、日本全国、大なり小なりの一極集中がヒエラルヒー(階層構造)を成すことで国土が形成されているという現実がある。しかし、市場原理に任せて一極集中を放置し続けるならば、結局は財政面で無駄を生じてしまう。
 
事実、1990年代前半に過度に進んだ福岡一極集中によって、福岡都市圏は肥大化し、混雑は慢性化した。そして混雑緩和への対応策として都市高速道路や地下鉄が延伸され、道路も拡幅されてきた。容量拡大は一時的に余裕を生むため、人々は更に一極集中し、再び混雑を招いてきた。財政をいくら出動しても際限がないのである。一方の過疎地はというと、1学年5クラスあった小学校が、5分の11クラスに減ってしまった。1つの校舎の維持管理に毎年百万円の財政負担を要していたのが、5分の120万円で済むようになったかと言うとそうではない。財政負担は、従来のままである。過疎と過密は、共に財政を逼迫する要因となる。こう考えてくると、一極集中は、そこに行けば一定の用を足せるという賑わい空間を創出し、域外への人口流出を堰きとめる役割を果たすというメリットと、財政に負荷をかけ続けるというデメリットの両面をもっていることになる。北部九州で合併気運が高い理由の一つは、福岡一極集中への危機感である。
 
では、市町村合併で生じるかもしれない一極集中懸念に、私達はどう対応すれば良いのだろうか。九州大学の藪野祐三教授は、一極集中には「傘型」と「ロケット型」の2種類があると言う。傘型では傘の柄の部分が上昇すると、傘の周辺部も同じように上昇するが、ロケット型だと中心のロケットだけが上昇し、周辺には排気ガスがばらまかれるだけだと揶揄している。市町村合併でロケット型の一極集中を回避するためにも、適度な密集地と適度なゆとり空間が共存する「適疎適密」社会を市町村合併では目指すべきである。
 
多くの合併シンポジウムで議論していて気付くのは、「合併すると周辺部が廃れてしまう」と主張する住民が住む集落を地図で確認すると、確かに合併後の新都市中心部に至る道路整備が遅れていることである。一定の賑わい空間を形成しつつ過疎過密を緩和するためには、中心部(成長の極)と周辺部のアクセス道路を整備し、中心部と周辺部が「傘型」で発展できる環境を整備することが必要条件となる。その時、一極集中へのアンチテーゼとしての「適疎適密」社会が形成されるのである。

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